2018年1月9日に放送された「マツコの知らない世界新春2時間SP」を見ました。
今回は、「YOSHIKIの世界」、「デリバリーグルメの世界」と「御三家和菓子の世界」の3本立てでした。
その中から、「YOSHIKIの世界」について、まとめてみました。
「デリバリーグルメの世界」と「御三家和菓子の世界」は、こちらをご覧下さい。
https://www.sacchiga.com/matsukonoshiranai_051/
https://www.sacchiga.com/matsukonoshiranai_052/
出演者・オープニング
出演者は、マツコ・デラックスさん。自称!YOSHIKI以上にYOSHIKIを知る女性、さかいさん。そして、ご本人登場のX JAPAN・YOSHIKIさんです。
YOSHIKIさんの、イメージを聞かれたマツコさんは、「なかなか稀有な人」と表現しました。
90年代、ロック界の頂点に上り詰め、今尚トップを走り続ける、ビジュアル系バンド、X JAPANのリーダー・YOSHIKI。ロックとクラシックの、世界3大聖地で、公演を成功させた、日本で唯一のアーティストです。
さらに、昨年末の紅白歌合戦でも、圧倒的なパフォーマンスを披露し、日本を熱くさせました。
そんなYOSHIKIさんを、誰よりも知っていると豪語する、今回の案内人は、YOSHIKIさんのために人生を捧げる、さかいさん。
そして、YOSHIKIさんとマツコさんが、初共演します。今回限りの、熱いステージを、お見逃しなく!
案内人を呼び込むと、YOSHIKIさんが創造する、着物ブランド「YOSHIKIMONO」を着て登場した、さかいさん。気合い入っています。
さかいさんの、異常すぎる愛情として、
1. テレビ・雑誌・イベントなど全てを網羅
「行ったことがないものは?」と聞いても、考え込んでしまうほど、全てを網羅しているのようで、「YOSHIKIは神様」と讃えていました。
さかいさんいわく、オーラがあって、身体が発光しているのだそう。
さらに、
2. YOSHIKIさんのために、OLを辞めて経営者に!
時間を作る為に、自ら会社を設立。1から自分で勉強して、web関係の会社を立ち上げました。
3. YOSHIKIさんを世界中追いかける
パソコン1つあれば、世界中どこででも仕事は出来ると、YOSHIKIさんをどこまでも、追いかけているそうです。
4. 合計2000万円以上使用
YOSHIKIさんのために、今まで2000万円以上も、使っているというから、その情熱に驚きました。
ちなみに独身だそうです。なかなか結婚は、難しそうですね。
お宝写真が続々!知られざるYOSHIKIの過去
まずは、YOSHIKIさんのプロフィールを、紹介していきます。
と、ここでいよいよ、X JAPANリーダーのYOSHIKIさんが登場!さかいさん大興奮です。
東京ドームを18回ソールドアウトさせた男、YOSHIKIさん。本名は、林佳樹さんです。
千葉県館山市出身で、マツコさんと同郷なのですね。
YOSHIKIさんのこだわりで、基本的な情報は「X(エックス)」なのですが、X JAPANのボーカルToshiさんと、幼馴染・同級生で、Toshiさんは公表しているので、なんとなくは知られていたそうです。
YOSHIKIさんは、老舗呉服屋の長男として誕生し、4歳でピアノを習い始めました。
5歳の時、幼稚園で利三(のちのToshiさん)と出会います。
小学6年生で、バンドを結成し、当初はYOSHIKIさんがボーカル。Toshiさんはギターだったと言います。
マツコさんに、なぜロックというジャンルを、やるようになったのかと聞かれると、小学5年生の時に、父親が他界し、行き場のない感情に悩んでいました。そんな時に、ロックバンド「KISS」を見て、ロックスターになると、決意したそうです。その頃、ドラムを買ってもらったのだとか。
中学時代には、教師にバリカンで丸坊主にされ、グレる不良でしたが、学力は400人中10位以内でした。「勉強だけはちゃんとしなさい」という、母親との約束を守るため、不良と遊んでいる時も、勉強はしていたという、YOSHIKIさん。
そして、高校時代に「X」を結成。音大受験を辞め、「X」で生きて行くと決意しました。
ところどころで出る、学生時代のYOSHIKIさんの写真は、不良なのに可愛らしいお顔立ちでした。
YOSHIKIの異常なこだわりと仰天裏話
YOSHIKIさんが、日本音楽界にもたらした偉業として、紹介されたのが、
1. ビジュアル系というジャンルを確立
1989年にメジャーデビューし、「X現象」と呼ばれる、社会現象を巻き起こしました。
「ロック=硬派」の概念を壊したい、自由に音楽をやりたいという気持ちで、続けていたと、当時を振り返ります。
GLAYをプロデュースし、メジャーデビューさせていたのは、知りませんでした。
2. ロックとクラシックを融合
クラシックの方も、本格的にやられている、YOSHIKIさん。
天皇陛下ご即位10年をお祝いする国民祭典では、奉祝曲を作曲し、ピアノを演奏しました。
また、2005年の愛知万博では、テーマソングを作曲し、指揮を披露しました。
当時は、X JAPANを解散していた時期で、メンバーにも色々なことがあった時期なので、音楽を辞めてしまおうかと思っていたそうですが、これが音楽と自分を繋ぎとめてくれて、運命を感じたと、語っています。
YOSHIKIさんがデビューした時、最も重要だと思っていたことは、音楽を伝えるためには、手段を選ばないことです。
マツコさんは、2016年の紅白歌合戦にゲスト出演した際、「全出演者の中で、誰よりも紅白歌合戦に、敬意を払ってステージに立っていた」と話しました。
X JAPANの歌によって、侵略してきたゴジラを倒す演出は、記憶に新しいですよね。
そんなYOSHIKIさんが、有名になるために、最もこだわったのが、
- 1分間に800回以上も叩く”高速ドラム”
- 「蹴る」「殴る」「壊す」パフォーマンス
何か1つ大きな特徴があった方がいいと思い、やっていたそうですが、途中から「これ音楽と関係ないんじゃないか」と、疑問を持つようになったと言います。
今まで100個もの、ドラムセットを壊してきたYOSHIKIさん。このご時世、炎上を気にしていましたが、ドラムのメーカーの方から、「壊してくれ」と頼まれるのだと明かしました。
続いて、さかいさんが、YOSHIKIさんについて、ファンが心配していることを聞きます。
それは、ストイックすぎますが、大丈夫ですか?ということです。
2017年5月に、過酷なドラムパフォーマンスのせいで、首を痛めて、2回目の手術を行いました。
ドクターストップが、かかっている状態ではあるものの、「これからも叩き続けるだろう」「倒れるまでやろう」という覚悟を持っていると、話しました。
過密スケジュールも、話題になっていて、Instagramで紹介した、イタリアでのスケジュールは、まさに分刻みです。「2日に分けると、その分経費も2倍かかる」と、裏事情まで話してくれました。
さらに、フランスで世界の有名人やセレブが、天気を解説する人気番組「Quotidien」に出演するなど、なんでもやりますね。
次に、90年代を席巻した2大アーティストについて、語られました。
CDが売れる時代に、こだわりが強すぎて、CDが出せなかったそう。小室哲哉さんが、150枚以上リリースしていたのに対し、YOSHIKIさんは、わずか28枚でした。
これについて、YOSHIKIさんは、100年先も聴いてもらうため、納得するまで出さないと、決めていたそうです。
最後に、「小室さんは、小室さんで凄い」とフォローしていた、YOSHIKIさんが、印象的でした。
マツコだけに語ったToshiとHIDEの真相
YOSHIKIさんを襲った悲劇として、まずは、幼馴染のToshiさんの脱退について、聞きました。
YOSHIKIさんにとって、Toshiさんは、幼馴染や友達を超えて、家族のような存在だったので、父親を失った時くらいの、インパクトがあったそうです。
1997年4月、X JAPANに衝撃が走りました。ボーカルのToshiさんが、音楽性の違いと、洗脳騒動により、脱退を表明。
そして、9月には、YOSHIKIさんが正式に、X JAPANの解散を発表しました。
その時のことについて、YOSHIKIさんは、「一生会わないんだな」「Xというドアを完全に閉めてしまった」と振り返ります。
同じ年の12月。X JAPANの解散ライブで起きた、伝説の瞬間は、今でも語り継がれています。
Toshiさんの脱退表明後、二人の間には確執が生まれ、一言も言葉を交わすことは、ありませんでした。そんな中行われたラストライブでも、二人の溝は埋まらないまま、ステージは続いていきます。
しかし、ライブ最後の「Forever Love」をToshiさんが歌い始めたその時、ファンに語り継がれる伝説が、生まれました。
演奏を中断して、ゆっくりYOSHIKIさんが向かったのは、Toshiさんの元でした。二人はお互いに、強く抱き締め合ったのです。
それでも、その後再結成までの10年間、言葉を交わすことはありませんでした。
VTRを振り返り、YOSHIKIさんは、ライブ中どちらかと言うと、Toshiさんに対して「怒りの方が強かった」「ぶん殴ってやろうかと思っていた」と話しました。
再結成は、Toshiさんの方からで、二人でまた一緒に活動するようになり、Toshiさんも段々洗脳から解き放たれたと言います。
そんな、YOSHIKIさんとToshiさんを、繋いでいたものは、大親友HIDEさんに作った曲「Without You」です。
解散からわずか数ヶ月後の、1998年5月、X JAPANに再び悲劇が。
メンバーであり、YOSHIKIさんの大親友・HIDEさんが、突然この世を去ったのです。この訃報に、ファンのみならず、日本中が大きな悲しみに包まれました。
X JAPANのリーダーとして、葬儀では気丈に振舞っていた、YOSHIKIさんですが、実はこの時、HIDEさんの死を受け入れることができず、絶望し、自らの引退まで考えていたそうです。
当時、ファンの間で、後追い自殺が度々起きてしまい、何度も記者会見を開いて、ファンに呼びかけを続けました。
1ヶ月ほど経ち、事態が落ち着いた時、一人になったYOSHIKIさんは、完全に壊れてしまい、どうしていいか分からなくなってしまいました。
その時1曲だけ、X JAPANのために曲を書いてみようと、「Without You」を作りました。二度と会うことはできない、天国のHIDEさんに向け、悲痛な想いを込めた曲です。
X JAPANは、この「Without You」を、音楽の殿堂「ウェンブリー・アリーナ」で演奏。実はこの場所は、HIDEさんが「いつかあそこで演奏したい」と、語っていたステージなのだそうです。
そして、HIDEさんのために作ったこの曲は、1度は別の道を歩んだ、YOSHIKIさんとToshiさんの絆を、再び繋いだ曲でもありました。
HIDEさんについて、YOSHIKIさんは、「気持ちの中ではまだ一緒にやっている」と話し、2011年に亡くなった、TAIJIさんも合わせて、「気持ちの中では7人のX」だと語りました。
しかし、発売が決定している、NEWアルバムの発売日は、未定のままだそう。待ち遠しいですね!
【YOSHIKIのもう1つの顔 プロデューサー】
YOSHIKIさんは、音楽以外にも、ワインやクレジットカード。着物や香水、キティちゃんまで様々です。
オリジナルクレジットカードは、3種類もあり、もちろんさかいさんは、コンプリートしています。
また、このカードは、10000ポイント(約1000万円)貯めると、YOSHIKIさんに会えるという、特典があります。
さかいさんは、2回貯めており、YOSHIKIさんのスケジュール待ちの状態だそうです。さすが、YOSHIKIさんに2000万円使っているだけあります!
そして、今回特別に、YOSHIKIさんが、ピアノの生演奏を、マツコさんにプレゼントしてくれる事に。さかいさんラッキー!曲は「Forever Love」です。滑らかで繊細な演奏と、力強さが、とても感動的でした。
YOSHIKIの世界を終えて、さかいさんは、「本当に生きていて良かった」と話し、映画「We are X」の告知もバッチリ。マツコさんも、「今日早速Amazonで買います!」と宣言して、終了しました。
最後に
あまり良く知らなかった私でも、その伝説的なエピソードに、感動しました。発売が待たれるアルバムも、楽しみですね!
今回は、「YOSHIKIの世界」、「デリバリーグルメの世界」と「御三家和菓子の世界」の3本立てでした。
「デリバリーグルメの世界」と「御三家和菓子の世界」は、こちらをご覧下さい。
https://www.sacchiga.com/matsukonoshiranai_051/
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