前回の第44回「士族たちの動乱」では、参議の役職を辞した隆盛(鈴木亮平さん)は、鹿児島で畑を耕してのんびりと暮らすつもりでした。
しかし隆盛を慕う士族たちが、鹿児島に続々と集まってきます。
その間にも士族の不満は膨らみ、ついに元参議の江藤新平(迫田孝也さん)は、佐賀の乱を起こしました。すぐに鎮圧されたものの、鹿児島にも反乱に同調する者が現れます。
隆盛は士族たちの暴発を抑えるため、「私学校」を設立しました。
前回の第44回「士族たちの動乱」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第45回「西郷立つ」のあらすじと感想です。
最後の平和な日
明治8年、私学校の開設から1年で、生徒は2千人に膨れ上がりました。東京で私学校の動きを注視していた利通(瑛太さん)は、元薩摩藩士の中原尚雄(田上晃吉さん)という男を、私学校に密偵として送り込みます。
隆盛は、桐野利秋(大野拓朗さん)や篠原国幹(榊英雄さん)に私学校を任せ、開墾できる土地を探しました。息子の菊次郎(今井悠貴さん)を連れて、温泉を楽しみながら各地を廻ります。これが、隆盛にとって最後の幸せな日々となるのでした。
隆盛は菊草(八木優希さん)を大島から引き取ります。菊草は不安な表情で「やってなりょうかな(お世話になります)」と、大島の言葉で挨拶しました。菊次郎に「すぐ慣れっと、心配せんでもいっちゃっと」と声をかけられると安心して、母の愛加那にそっくりな顔で笑いました。
不平士族
利通は、廃刀令や金録の廃止など、士族を苦しめる策を打ち出します。
廃刀令が下ると、私学校の面々は「侍が刀を持たずして何とすっとか!」と、県令の大山に説得も聞き入れず騒ぎ立てます。桐野が「政府の言いなりになるんじゃなか、私学校のためじゃ」と言って刀を突き出すと、皆も仕方なく刀を腰から抜きました。
士族の給料である金録を廃止され、追い詰められた士族は、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱と、次々に反乱を起こしました。政府は軍を出動して力ずくで反乱を抑え込みます。熊本の反乱を知った私学校の士族たちは「刀を奪われ、禄も召し上げられ、政府は士族にどげんして生きろち言うのか」「熊本士族の叫びは、士族すべての叫びじゃ」と興奮。そこに隆盛がやってきて、皆が静まり返ります。
隆盛は「こん薩摩で共に生きていくち、約束したんじゃなかとか!?オハンらが立つことは、断じてならん!」と凄みます。そこで篠原が「政府はこん私学校に、密偵を忍ばせちょります」と、証拠となる手紙を出しました。皆がざわめきますが、隆盛は「こんやっせんぼどもが」と、やましいことはしていないのだから何も困ることはないと笑い飛ばしました。
密偵の中原は、政府に「ハンランノケハイアリ」という電信を送ります。受け取った利通は「前線の熊本鎮台に、いつでも出兵できる体制を整えよ」と命じました。利通は険しい顔で「吉之助さ、立つな。立たんでくいやい」と、心の中でつぶやきます。
密偵捕縛
中原に「ボウズヲシサツセヨ」という電文が届きました。声をかけてきた別府晋介(篠原悠伸さん)に、中原は私学校の暴発を抑えるために味方になってほしいとお願いをしました。近々政府の船が鹿児島に来るのだと秘密を打ち明けると、別府は「まさか密偵ちゅうのは…何ごてじゃ!」と、中原の襟首をつかみ上げます。中原は捕まり、電文を奪われました。密偵の捕縛をきっかけに彼らは暴発、政府の武器庫を襲って弾薬を奪ったのです。
隆盛が私学校にくると、奥の部屋に中原は拷問され、血まみれで吊されていました。隆盛は怒り、私学校のまとめ役である桐野と篠原を殴って「オハンらのやったことは国家に対する反逆じゃ」と叱り飛ばします。桐野はかすれる声で「お言葉ですが」と、例の電文を差し出します。篠原も「中原が自白した。私学校を瓦解させるために、西郷先生を刺し殺すつもりだったっち」と、言いました。
隆盛は顔をこわばらせて、中原に「シサツちゅうのは本のこて殺せっちゅうこつか?」聞きました。中原は「西郷先生…」と声を絞り出し、隆盛に何かを伝えようとします。隆盛は「よかよか…」と涙を流しました。電文の“シサツ”は視察なのか、刺殺なのか。中原は何と言ったのか、隆盛は暗殺命令があったと判断したのか、どうなのか…隆盛の気持ちを、誰も伺い知ることはできませんでした。
桐野が「できることはもはやひとつ、我が身を捨てて政府の政を正すのみ」と言って、皆が隆盛の言葉を待ちます。隆盛は「わかった。みんなで東京へ行き、立ち上がり、オイたちの、いや全国の士族の思い、新しか世を見るこつなく散っていった、先人たちの願い、そのすべてを政府に訴え、政のあり方を問いただす」と、涙を浮かべながらも笑顔で宣言しました。桐野がうぉーと吠えると、全員がおぉーと続き、全員が奮起します。
家族との別れ
隆盛は自宅で「人愛天敬」と書をしたためます。そして家族に私学校の士族と東京へ行くことを伝えました。菊次郎は「オイも共に参りもす」と言いますが、糸は「いけもはん」と止めました。しかし菊次郎は「母上、オイは今、自分たちが立ち会っていること、すべてを見届けたかです」と決意は固く、隆盛に同行を許されます。
夜になって雪が降り、隆盛と糸が囲炉裏を囲みます。糸は「踏みとどまることは、できんとですか?」と聞くと、隆盛は「できん」と短く答えました。「だんなさあは、いつか言っとりもした。新しか国を見せてくれるち。じゃっどん、まだ見せてもらっちょりもはん。」と涙を流しながら「必ず新しか国を見せてくれるのですが。答えてくいやい、だんなさあ、答えてくいやい」と問いかけますが、隆盛は何も答えませんでした。
私学校に県令の大山がやってきて、「話す、だけじゃぞ」と確認した後に「どーっと行ってけ!」と送り出しました。
明治10年2月17日、鹿児島は5年ぶりの大雪に見舞われました。隆盛は金の刺繍が施された軍服で、正装をしました。菊次郎と甥の宗介を連れ、家族に見送られて家を出ます。菊草が「我きゃくとぅて忘れて 行きゅんにゃかな うたちやうたちゃが 生き苦しや」と、奄美大島の別れ唄“朝花節”を唄います。そのメロディが悲しげに響き渡りました。
政府の政を正すという大義を抱えて、私学校の士族たち1万3千人が東京に向かって出発しました。
次回、「西南戦争」。
政府は私学校が決起することを予想し、熊本で戦いの準備をしていました。
利通は「西郷とその一党を討ち滅ぼす。日本で最後の戦にするために」と、固い決意で臨みます。
隆盛の率いる鹿児島の士族と、政府軍の戦いは熾烈を極め、「生きたかもんは降伏してから生きよ。
死にたかもんは死にやんせ」と隆盛が戦場で指揮をします。
いよいよ最終回まであと2回、いよいよクライマックスです。
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