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いだてん~東京オリムピック噺~ 第18回「愛の夢」のあらすじとネタバレと感想。

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第17回、金メダルを狙っていたベルリンオリンピックが戦争で中止になり、四三(中村勘九郎さん)は大きなショックを受けます。

熊本から上京したスヤ(綾瀬はるかさん)に励まされ、四三は復活。次の目標として、教師になり次世代のランナーを育成します。

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そして日本体育協会や読売新聞社と協力して、京都から日本橋までを関東軍・関西軍の2チームが競う、東海道駅伝を開催しました。

街道には観衆が詰めかけ、競技は大成功しました。

前回の第17回「いつも二人で」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。

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それでは、第18回「愛の夢」のあらすじと感想です。

目次

東京に戻った孝蔵

日本初の駅伝を成功させた四三は、富士登山競走や極東選手権、東西対抗戦などに立て続けに出場し、日本中を駆け巡ります。その間、熊本に戻ったスヤが懐妊していることが分かりました。

一方、孝蔵(森山未來さん)は、ドサ回りを終えて東京に戻ってきました。「久々に1杯でも」と清さん(峯田和伸さん)を誘いますが、誰かの気配に気づき「隠れろ、隠れろ」と物陰に押し込まれます。なぜかと言うと…銘酒屋の遊女・小梅(橋本愛さん)は徳重(榊英雄さん)というヤクザ者と結婚していましたが、四三の友人・美川(勝地涼さん)と浮気をします。徳重に責められると「朝太だよ、朝太。三遊亭朝太って売れない芸人。わたしゃ朝太に惚れてんのさ!」とタンカを切りました。とばっちりを受けた朝太こと孝蔵は、徳重に追われる立場になっていたのです。

そして張本人の美川は、徳重から逃げるために四三の下宿に転がり込んできました。美川は竹久夢二に憧れ「絵描きになろうと思ってる」と、下手くそな絵を見せます。相変わらず定職に就かず、フラフラしているようです。

女子体育の歩み

女学生のシマ(杉咲花さん)が早朝、着物の裾を帯に挟みタスキをして、足袋を履いて町中を走り始めました。「てなわけで、本日のオリムピック噺はですね、知ってるようで知らない、女子体育の歩み!」と、志ん生(ビートたけしさん)のナレーションが入ります。「女子体育の前に、当時の一般的な美人を紹介します」と、小梅が登場。大正時代は花顔柳腰と言って、色白で儚げな女性が男性にもてはやされました。運動をすると不細工になると言われていたのです。

女子体育の服装は、袴にブーツ、タスキ掛けという動きにくいものでした。そこに二階堂トクヨ(寺島しのぶさん)が、イギリスからチュニックを持ち込みました。ウェストにベルトがついた、袖なしワンピースです。トクヨは女生徒にチュニックと白いブラウスを着せ、ダンスの指導をします。中央に置いた長い棒に赤と白のリボンをつけ、リボンを持ち輪になって踊る『メイポールダンス』です。

「盆踊りもどき」と馬鹿にする永井(杉本哲太さん)に、トクヨは「女子の体育は女子の手で!子を産み母となる体を作るため、優雅なダンスを学ぶのです!」と言って、自らもくるくると踊りだします。

スヤの不満

スヤは身重の体で再び東京へやってきました。トクヨの依頼でチュニックを作成した播磨屋の店主・辛作は(三宅弘城さん)は、スヤにチュニックをあげます。スヤは「すっごい楽ちん、助かります!」とお礼を言いました。四三の考案した紐で留める足袋を見せて「ところで奥さん、これは足袋か?」と聞くと、スヤは「足袋でしょう」と答えます。辛作はいまだ、足袋なのか靴なのか悩んでいる様です。

そこに美川が帰ってきて、四三が下関から東京まで1200kmを走る計画を進めていることや、著書の出版記念で全国を行脚する予定があることを教えてくれました。そのことを知らなかったスヤは「なんば考えとっとでしょうね、あん人は!」と怒り、「あん人はマラソンばするためにウチと一緒になったとだろか?」と、美川に不満をぶつけました。

スヤが長々と不満をあげつらうのを静かに聞いていた美川は、棚から四三の日記を取り出しました。スヤは日記を盗み見ることを躊躇しますが、結局見てしまいます。2月のあるページに、その日見た夢について書かれていました。オリンピックで勝利し、祝勝会で嘉納(役所広司さん)や野口(永山絢斗さん)たちにお祝いされる四三。ドレスを来たスヤをみんなに紹介し、スヤの首に金メダルをかけます。『目が覚めて思う。この夢をいつか叶えん。スヤと生まれてくる子のために。』と、結んでいました。スヤは四三の思いを知り、四三に会わずに熊本に帰ることにします。

その後、四三が帰宅しました。辛作に「奥さん、いま出たとこだよ」と言われると、慌てて外に出て、スヤを探します。スヤの乗る路面電車を追い越し、駅に先回りして乗り込みました。「スヤ!スヤ!」と駆け寄り、体の調子はどうかと聞いて、安産のお守りを握らせます。

熊本に戻ったスヤが臨月を迎えますが、四三は帰ってきません。大正8年4月28日、無事に男の子を出産。大正と明治から1文字ずつ取って、正明と命名しました。

その夏、四三と弟子の秋葉(柴田鷹雄さん)は、20日間で下関から東京を走破。結局、四三は夏も熊本に帰りませんでした。

東京~日光をゴム底足袋で走破

四三は辛作に、マラソン足袋の底をゴム底にして欲しいと懇願しますが、辛作は「ダメだ、どうしてもその一線だけは超えられねえ」と拒否します。その頃、自動車の普及で日本中の道路が舗装され、足底の耐久性アップが不可欠となっていたのです。

孝蔵は、ほとぼりが冷めるまで東京を離れることにします。清さんが酒をおごり「出世払いでいいよ。三遊亭朝太は日本一の噺家になるんだ!」と言ってくれました。そこに徳重がやってきますが、孝蔵は逃げるように東京を後にします。

大正8年、パリ講和会議を経て第一次世界大戦は終戦。四三は駅伝対マラソンというレースを思いつきます。東京から日光まで130kmを、生徒は駅伝で、四三が1人で対決するのです。辛作が「だったらこれ履いて走んな」と、底をゴムにしたマラソン足袋をぶっきらぼうに放って寄こしました。四三は「はい!頑張ります!」と喜びます。

東京から日光までのレースで、四三は20時間連続で走り続けました。レースの結果は…さすがの四三も、駅伝には勝てませんでした。しかしゴム底の足袋は破れず、店主の辛作は「播磨屋の足袋が、130kmの道のりに勝ったんだよ!」と喜びます。

四三は「もう日本に走る道は無か。燃え尽きたぁ!」と言いました。そして嘉納宛にフランスのクーベルタン男爵から親書が届きます。それは1920年夏、8年ぶりにオリンピックが開かれるという知らせでした。

次回の第19回は、「箱根駅伝」。

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「自分は金栗さんにはなれません!」と弱音を吐く選手に、四三は「頑張れ!この道はオリンピックにつながっとるばい!」と励まします。

小雪の舞う中、足を引きずりながらゴールを目指す選手たち。いよいよ日本中が熱中する国民的スポーツとなる、あの箱根駅伝が誕生します。

次回も楽しみです!

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