第36回「前畑がんばれ」では、ロサンゼルスの女子平泳ぎ200mで銀メダルをとった前畑(上白石萌歌さん)は、プレッシャーに打ち勝ち、ベルリンで金メダルに輝きます。
「前畑頑張れ!前畑頑張れ!」という伝説の実況と共に、日本中の人々は歓喜に沸きました。
ヒトラーのプロパガンダとなった、壮大なスケールのベルリンオリンピックは閉幕。
次の開催は東京ですが、日中戦争が開戦し、先行きの見えない状態となってしまいます。
前回の第36回「前畑がんばれ」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第37回「最後の晩餐」のあらすじと感想です。
戦争とオリンピック
昭和12年、国会議員の河野(桐谷健太さん)は「国防費のためにと国民に我慢と緊張を求める一方で、オリンピックというお祭りを開催するという…この相反する2つに対して、国民に説明できないのであれば、この国でオリンピックを開催する資格はない!」と国会で訴えました。
一方、オリンピック組織委員会では、競技場について揉めていました。ベルリンに感化された嘉納(役所広司さん)は、こだわっていた神宮競技場ではなく、新しく巨大な競技場を建設するよう主張します。
四三(中村勘九郎さん)は、スヤ(綾瀬はるかさん)と下の子供3人を東京に呼び寄せました。町では支那事変の祝賀パレードが行われます。この頃までは、誰もが戦争はすぐに終わると思っていました。
播磨屋の店主、辛作(三宅弘城さん)の妻が亡くなっていたので、スヤはお線香をあげます。りく(杉咲花さん)と対面したスヤは、お赤ん坊のりくにお乳をあげたことがあると笑いました。その夜、スヤは「小松勝(仲野太賀さん)、りくちゃんに惚れとるばい」と鋭く見抜き、まったく気づかなかった四三が驚きます。
8月になっても戦火は止まず、副島(塚本晋也さん)は「今こそ名誉ある撤退を!」とオリンピック返上を訴えますが、嘉納は「オリンピックはやるんだよ!何が何でも、この東京で!」と主張し、2人は対立します。
オリンピックの行方
河野は連日、国会でオリンピック返上を訴えました。四三は河野に抗議すべく、かつて河野が勤めていた新聞社を訪れ、興奮しながら河野を探し回りました。政治が「落ち着いてください!」となだめると、不安そうな顔で「田畑さん、オリンピックやらんとですか?」と聞き、「ストックホルムの次のベルリンの大会、1916年。オレは絶好調でした」と語ります。1916年のベルリン大会は、第一次大戦の長期化で中止になってしまいました。「田畑さん、はしごば外される選手の気持ち、分かりますか?」「戦争になろうが小松くんば走らせたか。そぎゃん考えるは矛盾でしょうか?」と切ない表情で質問すると、政治は「矛盾じゃない、いや矛盾だ。スポーツに矛盾はつきものだよ。なぜ走る?なぜ泳ぐ?答えられん。でもそれしかないじゃんね!アンタもオレも、それしかないじゃんね!」と答えます。
小松は東京のマラソン大会に出場し、優勝します。りくとスヤも観戦し、四三は大喜びで小松を抱きしめました。そんな中でも日本軍はさらに戦争に突き進み、12月に日本軍が南京を占領し、世界から孤立します。
政治の決意
政治は妻・菊枝(麻生久美子さん)に「今日アレをナニするつもりだが…君、どう思う?」といつものように何が何なのか分からない会話をしますが、菊枝は意味が分かったらしく「いいんんじゃないですか」と穏やかに答えました。そして、きゅうりの天ぷらなどきゅうり尽くしの料理を出して「河童に戻ってください。河童のまーちゃんに」「近頃のあなたは見ていられません」と言います。
嘉納と政治は神宮スタジアムにやってきました。副島は熱を出して倒れ、IOC総会に同行できません。競技場も決まらず、嘉納は1人手ぶらでカイロに向かうことになります。政治についてこないかと尋ねると、政治は「返上するなら同行します」「断固開催するとおっしゃるなら、行きません」と答え、「この通りです!」と土下座します。しかし嘉納は「オリンピックは…オリンピックは…やる」と、決意は変わりません。
カイロで開かれたIOC総会は、嘉納にとって針のむしろでした。中国の王正延(ホァンシーさん)は開催地変更を要求、各国委員は競技場や補助金など質問攻めとなりますが、嘉納は答えることができません。嘉納は「返す言葉もございません。まったく情けない限りですが、30年IOC委員である私を信じていただきたい」と、すべての委員に語りかけます。嘉納の人望のおかげで、昭和13年の春、改めて東京開催が承認されました。
嘉納の帰国
嘉納はカイロからカナダを経由して帰国の途につきます。バンクーバーの港で内務省平沢和重(星野源さん)と出会い、船旅を共にすることになりました。食事をすると、嘉納は分厚いステーキを頼み、平沢はサラダとパンを頼んでちまちまとパンを口に入れます。77歳の嘉納は、ステーキを豪快に頬張りながら「私のように精力善用を心がけている者は、疲れるということはない!」と胸を張り、1時間も喋り続けました。しかし海が荒れると体調を崩し、床に臥せてしまいます。
数日後、少し体調を戻した嘉納は、食堂で開かれたお茶会に招待されます。「皆さん話してみませんか、人生で一番面白かったことを」と、場を仕切りました。嘉納は順に回って人々の話を聞き、最後に平沢のところにやってきます。面白かったことを聞かれ「今朝、偶然私の大便が、平沢のひの字に…」という他愛もない話をしますが、嘉納は「ふーん、そう」と興味がない様子。そして「私はね…」と、自分の話を始めました。羽田のマラソン予選会、ストックホルムオリンピック、ロサンゼルスオリンピック…と次々と思い出して「難しいね、一番となると」と、考え込みます。平沢が「一番は東京オリンピックじゃないですか?」と言うと、「そうだよ、そこ!これから一番面白いことをやるんだ!東京で!」と嬉しそうに語り始めますが、途中で咳き込んで声がかすれてしまいます。嘉納はよろけながら部屋に戻りますが、咳が止まりません。
波打ち際を走る四三の、靴紐が切れました。昭和13年5月4日、太平洋沖で嘉納治五郎は帰らぬ人となったのです。
横浜港には白黒の鯨幕が掛けられ、嘉納の無言の帰国をたくさんの関係者が出迎えました。平沢は、駆けつけた政治に形見のスケッチブックを渡します。嘉納の棺には、オリンピック旗が掛けられました。
場面は昭和36年、五りん(神木隆之介さん)のオリンピック噺に。五りんは嘉納が亡くなるくだりを笑いに持っていけなかったことを悔しがりますが、そこに知恵(川栄李奈さん)が駆けつけ、師匠の志ん生(ビートたけしさん)が脳出血で倒れたことを知らせました。
次回は、第37回「長いお別れ」。
嘉納の死によりオリンピック組織委員会は求心力を失い、東京オリンピックの開催がますます難しくなりますが、政治は「オレは諦めん。オリンピックは必ずやる!ここで!!」と抵抗します。
小松は「体の弱かけん、3つになったら冷水浴ばさせてやってください!」と、小さな男の子を抱きながら言いました。
その子こそ、小松とりくの息子、将来の五りんだと思われます。
昭和36年の志ん生が倒れたことも気になります…次回も見逃せない展開です。
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