前回の第26回、吉之助(鈴木亮平さん)は沖永良部島から帰還後、すぐに京に向かいます。
新しく始まった参与会議は、朝廷・幕府・有力諸藩の代表による合議で政を行う制度。幕府代表の一橋慶喜(松田翔太さん)は周囲を振り回していました。
とくに島津久光(青木崇高さん)はイモだとバカにされて憤慨、吉之助に軍賦役兼諸藩応接係を命じて、薩摩に帰ってしまいます。
慶喜は佐幕派も攘夷派も、誰が味方なのか信じられなくなっていました。
前回の第26回「西郷、京へ」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第27回「禁門の変」のあらすじと感想です。
長州の雄・桂小五郎
慶喜の京屋敷の門前で、風に飛ばされた紙を拾うと「長州の怨恨、京焼き尽くし候」という言葉と、火に包まれた街が描かれていました。道に佇む乞食に「もうすぐ戦が始まって京の町が焼かれてしまうって書いてあるが、ほんまかいな?」と聞かれると、吉之助は「侍の本懐はの…戦をするこっじゃなか。おはんら民の暮らしを守るこっじゃ。心配せんでよか」と、優しく微笑みます。
明くる日、その乞食が鍵屋を訪ねてきました。顔を覆う布を外し「長州藩士、桂小五郎じゃ」と名乗ります。身支度を整えると、薄い黄土色の羽織袴に総髪の髷、きりりとした武士姿です。桂(玉山鉄二さん)は長州を助けてほしいと、吉之助に頼みにきたのです。
過激な攘夷で天皇の怒りを買った長州は、京を追放されていました。桂によると、久坂玄瑞(二神光さん)、来島又兵衛(長州力さん)らの過激派が、天皇からの信頼を取り戻そうと、御所への出兵計画を進めているというのです。桂は幕府の衝突を止めるべく、慶喜への仲介を依頼しました。
桂は、慶喜のお付きだった平岡を斬ったのは長州ではないと断言。京を警備する新選組が、長州・土佐・肥後…そして薩摩の人斬り半次郎という男にも、嫌疑の目を向けていました。半次郎は、軒先から雨だれが地に着く間に3度刀を抜き放つと噂される、凄腕の持ち主です。
人斬り半次郎
一方慶喜は、孝明天皇に禁裏御守衛総督を命じられ、天皇直属の家臣となりました。
薩摩に帰った久光と入れ替わりに、重臣の小松帯刀(町田啓太さん)が京にやってきました。小松は何を言われても「分かりました。国父様にその旨お伝え申します」と答えます。どうやら、吉之助を見張るよう久光に命令されている様子。
京の薩摩藩邸では、藩士たちが剣の鍛錬をしていました。中村半次郎(大野拓朗さん)はその剣技でたちまち3人を倒します。そこに小松が現れ「実は先だって、一橋慶喜様のお命を狙った者がおる。幕府は薩摩の人斬り半次郎という者を疑っておるそうだ」と、皆に言いました。半次郎はきっぱりと否定、「ぬれぎぬは、己で晴らしもす」と言って立ち去ります。
慶喜はヒー様の格好に変装し、吉之助と一緒に旅籠で芸妓たちと踊ります。太鼓持ちの男が酒を注ごうとすると、慶喜は「てめえ、侍だろう」とその手を掴みました。男はあの桂小五郎。吉之助が手引きしたのです。桂は天皇へ取りなしてもらうよう、頼みます。慶喜は「ずうずうしい願いだな」と言いつつも、聞き入れました。
桂はすぐに、過激派たちを説得するために動き始めます。彼らは御所に火を放ち、混乱に乗じて天子様を連れさろうという計画を建てていました。「言語道断!今もし、ここを新選組に嗅ぎつけられたら、我らは申し開きのしようもない」と、説き伏せます。
そこに、薩摩の中村半次郎が屋敷に来て「おいは一橋様の命を狙った者を捜しておる」と、桂に堂々と聞いていきました。お互い疑っていましたが、どうやら違うと感じ取ります。帰ろうとする半次郎に、桂は「西郷君に伝えてくれ。貴殿のおかげで長州は救われた。我らは同志じゃ」と、伝言を頼みます。
池田屋騒動
そして1ヶ月後。慶喜は長州過激派の計画を突き止めました。桂との約束はなかったかのように、一網打尽にするよう命じます。長州・土佐の過激派が潜伏している池田屋を新選組が襲撃、長州藩士9人が惨殺されました。桂は池田屋にはいなかったようです。
池田屋襲撃の弔い合戦として、長州から京に2000の兵が向かっているとの知らせが。薩摩の京屋敷では、勇ましく鉄砲の演習を行っていました。半次郎が「西郷先生、お懐かしゅう存じもす」と吉之助に声を掛けました。半次郎は、かつて吉之助が年貢の徴収を行っていた頃、夜逃げしようとしていた一家のあの子供でした。吉之助は「半次郎。よか二才になったのう」と目を細めます。
半次郎は「ないごて、長州と戦をせんにゃならんのでごわすか?」と、吉之助に問いかけます。「桂さぁは、おいに長州と薩摩は同志と言うておられもした」と、桂の言葉を伝えました。
桂は裏切るつもりはなかったと確信した吉之助は、慶喜のもとに向かいます。慶喜はきらびやかな陣羽織を羽織って戦支度をしていました。どうやら最初から桂との約束を守るつもりがなかった様子…。「一橋様!桂殿は過激な連中を必死に食い止めておりました。あんお人は、民を思い国を憂いておりました」と戦を止めようとします。
慶喜は、平岡を切った下手人が、水戸の者だったと明かしました。幕府が攘夷を行わず開国に傾いているのは、慶喜のせいだと暗殺を企てたのです。慶喜は、水戸藩主・徳川斉昭の息子。身内から裏切られた慶喜は、もう誰のことも、桂のことも信じられなくなっていたのです。
禁門の変
天皇はすべてを一橋慶喜に一任するとの命を下します。兵を出さねば朝敵になるというところまで追い込まれ、吉之助はついに出兵を決意します。薩摩からの援軍が、京の藩邸に続々到着。鎖帷子を着込んで槍を構えた藩士たちに「おはんら、よう聞け。かくなる上は我ら勅命に従い、天子様をお守りせんがため出陣致す!」と高らかに宣言。藩士たちは「おーー!」と叫び、士気が高まります。
いよいよ長州勢が進撃。薩摩藩は乾門の守りを任されました。蛤御門を守る会津軍は長州に押され、薩摩軍は応援に向かいます。吉之助は長州の被害を抑えるため「おはんら、御大将一人を狙え!」と命令。大将の来島又兵衛を打ち取ると、長州藩士に刀を置くよう呼びかけます。しかしそこに会津の援軍が到着、刀を置こうとした長州兵を次々を狙い撃ちし、長州軍に多くの犠牲者がでてしまいました。
吉之助は足を撃たれて負傷。一報を聞いた慶喜は「生き延びよ。もっと大きくなれ」と叫んで、大声で不気味に笑います。戦闘そのものは1日で終了しましたが、戦いの火が燃え移り、京の街は3日間炎に包まれました。
次回の第28回は「勝と龍馬」。
幕府に長州征伐の勅命が下ります。
吉之助は勝海舟に会うことに。
吉之助は「牛男と呼ばれております」と自己紹介して、勝を笑わせます。
勝の傍らには、坂本龍馬が。勝と龍馬、そして吉之助はどんなことを語り合うのでしょうか。
一方、慶喜は吉之助に幕府軍参謀を命じます。
吉之助は慶喜の膝元に短刀を突きつけ、重大な決断を迫るようです。
緊迫したシリアスな流れ、こういう展開もまた楽しみです。
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