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日本で主流の管鍼法を生み出した杉山和一について。

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チャングムの誓いなどで見る鍼は太い鍼をブスッと刺す捻鍼法ものが多いですが、一方で日本の鍼灸臨床の場で行われている実際の鍼は鍼管と呼ばれる管を使って刺すものが主流です。

その違いはなぜ生まれたのか?

今回はそこに迫っていきたいと思います。

目次

管鍼法を生み出した杉山和一

鍼管を使い鍼を刺す、管鍼法と呼ばれる手法を生み出したのは杉山和一という人だといわれています。

彼は江戸時代(1610年)に生まれますが、幼くして伝染病により失明してしまいます。

武家に生まれた杉山和一でしたが、弟に跡取りを譲り、医学の道を志します。

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十代後半で目盲の鍼医者山瀬琢一に入門しますが、出来が悪く22歳ごろに合えなく破門されてしまいます。

その後、何かを成さねばならないという思いを胸に、江の島の弁財天の祠で断食修業をします。

江の島の弁財天は、盲人の守護神としても祀られています。

その修行の帰り道、杉山和一は道端の石につまずいて転んでしまいます。

その時、目の前に竹の筒に入った松の葉っぱを見つけます。

現在の日本での主流な鍼の打ち方である管鍼法は、これを参考にしたといわれています。

また、杉山和一は杉山流鍼治導引稽古所というものを開設します。本所一つ目と呼ばれる、弁財天社内に開設します。

この土地は、時の将軍徳川綱吉から拝領したものでした。

自分の担当医師として、杉山和一を起用していた綱吉でしたが、何か欲しいかと杉山和一に尋ねたところ、彼が「目が欲しい」と答えたため、本所一つ目というと呼ばれていた土地を与えたそうです。

1682年に家塾を改め鍼治学問所としますが、これが世界の教育史上初の盲人教育になります。

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江島杉山神社と杉山和一

先ほど紹介した鍼治導引稽古所ですが、現在は江島杉山神社となっています。

この神社には、杉山和一検校大人命(すぎやまわいちけんぎょううしのみこと)が祀られています。

また、杉山和一が祀られているという事で、他の神社とは違い鍼灸按摩学術成就、つまり、鍼灸按摩の国家試験合格の祈願ができます。

また、祈祷だけではなくお守りも打っていますので、鍼灸や按摩の学生さんはぜひ一度訪れてみてください。

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最後に

いかがだったでしょうか?

何気なく受けたり触ったりしている鍼ですが、面白い逸話があるのです。

確かに鍼灸の起源は中国だといわれていますが、現在の鍼は日本の人が苦労の末に行きついた努力の結晶であるという事を理解しておきましょう。

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