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いだてん~東京オリムピック噺~ 第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のあらすじとネタバレと感想。

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第39回「懐かしの満州」では、孝蔵(森山未來さん)を中心に描いた、終戦のお話でした。

孝蔵は圓生(中村七之助さん)と一緒に満州へ漫才の慰問興行に行き、五りんの父・小松(仲野太賀さん)と出会います。

しかし何ヶ月経っても日本に帰れず、大連で小松と再会しました。

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終戦を迎え、ソビエト兵が町に攻め込み、小松は夜の町でソビエト兵に撃たれて命を落とします。

孝蔵は戦後2年経ってやっと日本に帰ってきました。戦争が終わり、いよいよ最終章がスタートします。

前回の第39回「懐かしの満州」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。

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それでは、第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のあらすじと感想です。

目次

オリンピック誘致の瀬戸際で

昭和34年。終戦から14年、政次(阿部サダヲさん)も東龍さん(松重豊さん)も年をとって白髪が増えました。招致チームには岩田幸彰(松坂桃李さん)という若い秘書や、フランス語が堪能な北原秀雄(岩井秀人さん)も参加。東京オリンピックが決定するかどうかの瀬戸際です。しかしNHK解説委員でお茶の間のマダムキラー・平沢和重(星野源さん)が、オリンピック招致に反対していました。

政次は平沢を都知事室に呼びつけました。2週間後、ミュンヘンで行われるIOC総会に向け、万全を期して準備に取り組んできましたが、最終スピーチを担当する北原が運動会で転倒してアキレス腱を切ってしまいます。政治が「彼の推薦で、後任はぜひ平沢くんに…」と言い終わらないうちに、平沢は「あ、お断りします」と言いました。

それでも政治と東龍、北原の3人で詰め寄ると、平沢は得意の15分解説のように、なぜ日本にオリンピックが時期尚早であるかを分かりやすく説明しました。しかし政治は納得せず「早えか遅えか論じるのは、15分間オレのオリムピック噺を聞いてからにしろい!」と、歌舞伎役者のように見得を切ります。

終戦からの裏オリンピック

場面は昭和20年、終戦直後の東京。明治神宮競技場は米軍に接収され、様変わりしていました。政治は日本橋のバー・ローズで東龍さんや鶴さん(皆川猿時さん)と再会。ウィスキーで乾杯して、「オレはこの東京で…オリンピックをやる!」と決意を語ります。

すぐに生き残ったオリンピック関係者15名をバラックに集め、「日本體育協会」と看板を掲げました。戦地から帰ってきた元オリンピック選手の小池(前田旺志郎さん)や宮崎(西山潤さん)を指導者に迎え、水泳の強化合宿を行います。有望株は自由型の古橋廣之進(北島康介さん)です。

1948年に12年ぶりのオリンピックがロンドンで開催されましたが、敗戦国の日本は参加できません。そこで政治は、裏オリンピックと称して、ロンドンと同じスケジュールで日本選手権を行いました。ロンドンと電話回線をつなぎ、スタートのタイミングをぴったり合わせて、競技を行います。結果、古橋は18分37秒でゴールし「気持ちいい~!」と叫びます。ロンドンの金メダル19分18秒5を上回る記録でした。

裏オリンピックは敗戦で滅入っていた日本人の心を明るくしました。そして水連は国際競技連盟に復帰し、全米水泳競技会に招待されたのです。日本はまだ占領下でしたが、GHQ司令官マッカーサー(ダニー・ウィン)に直談判し、パスポートを手に入れました。日本は6種目中5種目を制し、古橋はすべての勝利を世界新で飾り、フジヤマのトビウオの名を世界に轟かせました。そして1952年のヘルシンキオリンピック、日本は参加を認められます。しかし古橋は選手としてのピークが過ぎており、良い成績を残すことができませんでした。

東京にオリンピックを

政治は総理にオリンピックを働きかけますが、総理は及び腰です。「えーい、頭きた!政治家が動かないなら、オレが政治家になってやろうじゃないか!」と、新聞社をやめてしまいます。政治は実家の母(根岸季衣さん)に選挙資金を出すようお願いしました。母は「ふふ…政治の頼みじゃあ…諦めるしかねえら」と、笑って札束を差し出します。実家は大きな商家でしたが、オリンピックなど金が必要になる度に土地を売り、ついには住む家と他に1ヶ所の土地が残るだけとなってしまいました。そして静岡3区から衆議院選挙に立候補しますが、落選します。

1956年、昭和31年ついに聖火は南半球に渡り、オーストラリアのメルボルンでオリンピックが開催されます。政治は英語の得意な岩田を連れてロビー活動をし、次のIOC総会を東京で開くことに成功。政治はさらに「懐かしくても古いもんは古い」と、神宮外苑スタジアムを建て替えます。関東大震災、出陣学徒壮行会…たくさんの思い出と共に神宮スタジアムは爆破され、昭和33年春に国立競技場として生まれ変わりました。

各国IOC委員は超短期間での工事とその完成度の高さに驚き、ブランデージIOC会長は「東京にはオリンピックを開催する資格がある」と演説しました。

いよいよ追い風が吹いてきたと、政治は東龍さんに都知事選の出馬を依頼。妻は大反対しますが、本人は興奮しながら「やらずに後悔するぐらいなら、晩節を汚してでもオレはこの東京でオリンピックを開きたいんだよ!」と駄々っ子のように叫びました。こうして東龍さんを知事に担ぎ上げ、万策を尽くして2週間後のミュンヘン総会を迎えるところまできたのです。

平和の為に

15分と言いつつ30分も語りましたが、平沢の気持ちは変わりません。「そもそも皆さんはそうしてそんなにオリンピックに魅せられるのか、その理由が知りたい」と平沢に言われると、政治は「北原くん、フランス語で平和とは何だね」と言い出します。「“ペ”です」「じゃ、ペだよ、ペの為にやってる」そう言って5年前、フィリピンに水泳の遠征に行ったときの話を始めました

日本水泳チームがフィリピンの町を歩いていると、子供にボールを投げつけられます。それをきっかけに、人々が物を投げ罵声を飛ばしました。フィリピン人にとって、まだ戦争は終わっていなかったのです。政治は「帰ろう」と落ち込みますが、若い選手たちは「泳ぎに来たから泳ごうぜ!」「泳ぐしか脳のないオレたちが、泳ぐのやめて何かいいことあるか!?」と、言いました。

「アジア各地でひどいことしてきたオレたち日本人は、面白いことやんなきゃいけないんだよ!」と政治が言うと、平沢は「これから一番面白いことをやるんだ、東京で」という嘉納の言葉を思い出します。「何だ…面白いことか…そこだよ、そこ!面白いことならやらせていただきます!」と、自分の言葉で喋らせてもらうことを条件に、演説を引き受けました。

そして1957年、昭和34年5月20日。平沢和重はIOCのミュンヘン総会で演説します。「そのときがついに来ました。五輪の紋章に記された、第五の大陸。オリンピックを導くべきではないでしょうか、アジアに」と演説を締めくくると、拍手が起こります。東京は見事34票を獲得し、開催都市に選ばれました。

次回、第41回「おれについてこい!」。

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政治は「名もなき予選で敗退する選手ですら、生涯自慢できるような大会にしたい!」と意気込みます。

映画監督の黒澤明、建築家の丹下健三など名だたる才能を巻き込んで、東京オリンピックの準備が進みます。

人見、前畑に続いて女子スポーツの頂点に輝くのは、女子バレーの「東洋の魔女」!

さらに政治の運命を変える大物政治家も現れます。

次回も楽しみです!

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