第33回「仁義なき戦い」で、イタリアに渡った政治(阿部サダヲさん)と副島(塚本晋也さん)、そしてイタリア大使の杉村(加藤雅也さん)は、イタリア首相ムッソリーニ(ディノ・スピネラさん)の説得に成功。ローマは辞退することになります。
しかし、日本が政治権力を利用したことを知ったIOC会長のラトゥール(ヤッペ・クラースさん)は怒り、投票を延期しました。
嘉納(役所広司さん)は不利な状況をひっくり返すために、ラトゥールを日本に呼び、おもてなし接待をすることにしたのです。
前回の第33回「仁義なき戦い」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第34回「226」のあらすじと感想です。
226事件
1936年…昭和11年2月26日早朝。雪の積もる路地を、銃を持った兵隊がザッザッザッと音を立て、赤坂表町へ進みます。午前5時、青年将校と下士官が、高橋是清大蔵大臣の屋敷に侵入。将校が障子を開けて「昭和維新断行!」と叫びながら銃の引き金を引きました。
政治が菊枝(麻生久美子さん)に起こされて外を見ると、兵隊が行進しています。異変を察して出社すると、社内は襲撃事件の話でざわついていました。青年将校数十名が兵隊数百名を引き連れ、首相や大蔵大臣など政府要人を殺害。昭和維新、尊皇討奸をスローガンに、クーデターを起こしたのです。
東京は大混乱で、熊本でも列車運行取りやめなどの影響が出ました。四三(中村勘九郎さん)は家出を中止して、家に戻ります。
政治は新聞社に泊まり込んで、クーデターの行方を追っていました。そんな時に、ラトゥールが2週間後、横浜に到着するという報告を受けます。あわてて招致委員会の事務所に向かうと、嘉納が待ち構えて「遅い!」と怒鳴りました。東京市長の牛塚(きたろうさん)は、「東京事変は、オリンピック招致問題に関しては何ら影響を与えるものではない」というラトゥールの記事を読み上げ、嘉納は「さすが我が友ラトゥール、わかってる」と言います。
東京は反乱軍の兵士があちこちで建物を占拠し、いつ鎮圧軍との戦いが始まってもおかしくない状態。政治は苛立ち「そんな東京でお祭りですか?こんな時にオリンピックですか?!」と俯きますが、オリンピックの旗を見上げて「でもやりたい!」「だから嘉納さん、アンタが本気ならついていく。どうなんだよ、やれんのか?」と、嘉納に食らいつきます。嘉納は「やれるとかやりたいとかじゃないんだよ。やるんだよ!」と机を叩きました。
おもてなし接待大作戦
おもてなし作戦は、神宮外苑競技場に加えて日本の文化である歌舞伎や相撲を見てもらう計画です。それには戒厳令下の東京を横断する必要があり、嘉納は「ライトマン」として抜け道に詳しいある男を推薦します。ある男とは…?1930年3月19日、ラトゥールが東京へ到着しました。少年少女合唱団が「走れ大地を」を歌って出迎え、ラトゥール全力接待作戦が始まります。
嘉納が選んだライトマンこそ、元車夫の清さん(峯田和伸さん)でした。政治がお供としてラトゥールに付き添います。人力車は桜を見ながら隅田川を下り、歌舞伎鑑賞のあとに芝の料亭で会食。そしてオリンピックのメイン会場である明治神宮外苑競技場を視察しました。嘉納は関東大震災で競技場を避難所として貸し出したエピソードを語り、第一次世界大戦後にベルギーのアントワープで開かれたオリンピックを讃えました。
そして明治神宮を参拝した後、岸会長の墓参りをして、YMCAプールを視察。寄席にも足を運びました。噺家はちょうど孝蔵(森山未來さん)で、演目は『目黒のサンマ』でした。孝蔵は気取った殿様の声で「これがサンマか?」と、美味しそうにサンマを食べるところを演じ、「これ…即答を許す。このサンマ、何処で仕入れたか?」「は、日本橋でございます」「日本橋?それはいかん、サンマは目黒に限る」とサゲが入りました。
寄席が終わると、清さんは久々に会った孝蔵に声を掛けました。「どうだい、暮らしは。貧乏か?」「カツカツだよ、ガキが3人いるからね」…そして清さんは「世の中ちっとも良くならねえからよ、せめて思いっきりバカ笑いさせてくれよ。頼んだぜ、孝ちゃん」と、笑います。
これぞオリンピック
近道だからと住宅街を抜けると、少し広くなった路地で20人ばかりの子供たちが、けん玉やベーゴマなどで遊んでいました。ラトゥールは「ストップ、ストップ!」と、人力車を降りて子供に近づきます。かけっこで1等になった男の子に草の冠をかぶせるところを見て「Les Jeux Olympiques!」これぞオリンピックだ!とフランス語で讃えました。
何かを焼く匂いをかいで「オナカスイタ!」というラトゥールに、「もうちょっと我慢して!子供か!」と突っ込む政治。清さんが「オレの弁当で良かったら食うかい?」と、弁当箱を出しました。
熊本の四三は、義母・幾江(大竹しのぶさん)と、妻のスヤ(綾瀬はるかさん)、そして5人の子供、家族8人で夕食を食べていました。食べ終わると、嘉納からもらった手紙を幾江に渡します。「東京にオリンピックば呼ぶ運動ばしとるけん、四三君もひとつ力になってくれって」と四三が言うと、幾江は「行ったらよか」と、あっさりと許します。四三はホッとして「あー良かった。まあ…オレなんか留守しても寂しゅうはなかでしょうが」と言うと、幾江が「寂しくなかとは、どぎゃんこつか!」怒ります。もう親のいない四三と、息子を無くした幾江。「働かん、走ってばかりの息子でん、4年もおらんかったらさみしか!こんあほが!」と、四三を泣きながら叩きました。四三も泣き出して「そぎゃんこつ言われたら、オレも寂しか、おかあさ~ん!」と、幾江に抱きつきます。子供たちは笑ってからかいますが、四三は離れませんでした。四三は、幾江はスヤだけが好きなのだと遠慮していましたが、ここでそのわだかまりが溶けたようです。
ラトゥールの結論
嘉納とラトゥールは柔道着に着替え、組手をします。嘉納は「そもそもムッソリーニを説得せいと命じたのは私だ。道に反することをした。あなたの顔に泥を塗った。それについては謝る、この通りだ」と、畳に手をついて頭を下げました。「もし東京でオリンピックをやってくれたら、あなたの株を下げるようなことを絶対やらん。最高の、アジア初の、歴史にのこる平和の祭典にしてみせる」と言い、フランス語で「良い返事を待っています」と言って、立ち去りました。ラトゥールは頭をかき、悩んでいるようです。
おもてなし視察が終わり、いよいよラトゥールは帰国の日。記者に囲まれたラトゥールは、「9日間の滞在で、何より驚いたのは日本国民の活動と熱意である。この国では子供でさえもオリンピックを知っている」と答えます。ラトゥールは清さんの日の丸弁当を開けた時のことを思い出しました。「オリンピックはアジアに来るべきだ」とフランス語で言うと、政治が「ということは、1940年のオリンピックは東京に来ると見て間違い無いですね!?」と聞きます。
場面は昭和のオリムピック噺に変わり、五りん(神木隆之介さん)が「うむ、オリンピックは東京に限る」と、『目黒のサンマ』風にサゲをつけました。
次回は、第35回「民族の祭典」。
ヒトラーやナチス幹部らが観覧する中、「第11回オリンピック競技大会の開会を宣言する」という宣言と共に、ベルリンオリンピックが開幕。その裏で、IOCによって、次回オリンピックの開催地が決定されます。
果たして東京招致は実現するのでしょうか。
しかし驚きの真実が明かされるとのこと…。次回も楽しみです!
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