第10回、監督である大森(竹野内豊さん)の病状が悪化し、四三(中村勘九郎さん)と弥彦(生田斗真さん)はそれぞれ個別に練習します。
世界記録を持つ四三は注目され、他国の選手と交流を深めますが、弥彦は世界レベルに届かず、孤独を深めていきます。
追い詰められた弥彦は窓から飛び降りようとしますが、四三に助けられました。
大森の病状も復活して、弥彦のやる気も戻ってきます。
やっと嘉納(役所広司さん)も到着し、いよいよオリンピック開幕が近づいてきました。
前回の第10回「真夏の夜の夢」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第11回「百年の孤独」のあらすじと感想です。
いよいよ、開幕
昭和35年。日本オリンピック委員会は、東京オリンピックの記録映画を黒澤明監督に依頼。その資料として、1912年のストックホルムオリンピックの資料を倉庫から探し出しました。
その1912年のストックホルムで、日本人選手団は入場プラカードの表記についてもめていました。監督の大森は英語でJAPANがよいと言いますが、四三は「日本でなければおるは辞退します。すいまっせん!」と譲らず、弥彦まで辞退すると言い出します。嘉納は突然、両者を褒め讃えました。「お互いに認め合ってるからこそ、自分の意見を遠慮なくぶつけ合える。これぞ相互理解!」と笑って「双方一理!」と柔道の審判のようです。プラカードは一体どうなるのでしょうか…?
オリンピック開幕式の7月6日は風ひとつない快晴。スタジアムには28カ国、3000人の代表が集まりました。プラカードを四三が持ち、弥彦が国旗を持ってスタンバイ。ドイツにいた帝都大学の教授・田島錦治(ベンガルさん)も、人数を増やすために行進に参加します。いよいよ入場、プラカードの表記は…嘉納の発案によってローマ字で『NIPPON』でした。安仁子(シャーロット・ケイト・フォックスさん)につられて、観客から「NIPPON、NIPPON」と歓声が沸き上がります。
昭和35年、東京都知事室でその記録映画が上映されます。音声技術はまだ発達しておらず、無声映画です。日本選手団の行進する姿が映ったのはほんの一瞬、タバコを咥えていた田端(阿部サダヲさん)は見逃してしまい、「さっきのもう1回!」と言います。
記念すべき日本初参加のオリンピック。入場行進では、公式カメラマンの撮った写真では四三が国旗に隠れ、安仁子が撮った写真は逆に弥彦が隠れていて、残念ながら2人が同時に写った写真はないのでした。
短距離競技
競技が開始され、100mの予選が始まります。
その頃三島邸に、弥彦が2週間前に投函した絵葉書がやっと到着。弥彦が精神的に追い詰められていた頃に書いたもので「最後の便りになるかも知れません」など死を匂わせる言葉が綴られていました。女中のシマ(杉咲花さん)は慌てますが、母・和歌子(白石加代子さん)は「心配せんでよか」「弥彦は勝ちます」と、笑い飛ばします。
弥彦は控え室のベンチで、プレッシャーに押しつぶされそうになっていました。大森が肩を叩き「三島くん、短距離はね、タイムを競う競技だ。つまり敵はタイムのみ。一緒に走る選手のことはライバルではなく、タイムという同じ敵に立ち向かう同志と思い給え」と助言すると、弥彦の気持ちが落ち着き、表情が明るくなります。
意を決した弥彦がスタートラインに立ち、四三は「我が共に勝利を」と祈ります。号砲が鳴ってスタート。4人が走り、弥彦はビリでした。大森が弥彦に駆け寄り、ストップウォッチを見せます。弥彦は笑顔で喜び、大森と抱き合いました。
四三や嘉納たちが、控え室に駆けつけます。弥彦は「私の記録、11秒8だそうです」とストップウォッチを掲げました。「負けはしましたが、自分の最高記録を出したのだから、成功だと思っています」と胸を張り、嘉納と大森が褒め讃えます。弥彦は「やはり日本人には短距離は無理なようだ。君にかかってる、金栗くん」と、四三の肩を叩きました。
この日を境に大森の病状は悪化します。弥彦は3日後の200mに出場しますが、惨敗しました。
孝蔵、噺家デビューに向けて
一方、東京。孝蔵(森山未來さん)は三遊亭朝太という名前で寄席に出るよう言われます。圓喬(松尾スズキさん)は「できるよ、君には何かあるから」と、穏やかに、けれど鋭い目で孝蔵を見つめました。
昭和の志ん生(ビートたけしさん)が「師匠の高座ぶりってのは…」と、圓喬の落語について語ります。「ふところから小菊の紙を1枚抜いて、2つに折ってチーンと鼻かんで。鼻の下をちょいと擦って、座布団の下に入れる。そしたら九谷焼の湯呑を押し頂いて、飲むんじゃねえ、喉湿らせんだよ。でもって錆びた声でね」…圓喬はいつも、この一連の動作をしてから落語を始めるのでした。
孝蔵は誰もいない神社で師匠の真似をしますが、しっくりきません。気ばかり焦って、結局酒を飲んでしまいます。
プレッシャー
3日後にマラソン競技を控えた四三も、焦ってモヤモヤします。孝蔵と違って酒を飲むのではなく、押し花をして気を落ち着かせていました。四三は弥彦の部屋を訪ねます。弥彦は明日の400mについて「日本では無敗の僕が、100も200も最下位。圧倒的敗北さ。明日も勝てるとは思っていない。でも楽しみだ。明日も走れることが、僕は楽しい。」と、不安は感じていない様子。四三は驚いて「おるはダメです。何かこう…モヤモヤして」と落ち込むと、「そのモヤモヤは、プレッシャーだよ」と弥彦が教えました。モヤモヤの名前が分かり、西洋人もプレッシャーを感じると知ると、四三は目からウロコが落ちたように表情が変わります。「正体さえ分かれば、こぎゃんもん、怖くなかです!」と笑顔になりました。
翌日の400m予選は、5人中3人が棄権。2着までが予選通過できるので、必ず次に進める状態でした。スタートすると序盤は弥彦がリードしますが、徐々に追いつかれます。嘉納に「世界の中心で走ってみたいと思わんかね」と言われたこと、日本で天狗だったこと、プレッシャーに押しつぶされそうになったこと。さまざまな思いが、弥彦の頭をかすめました。
2位でゴール、弥彦は倒れ込みます。田中に「次も頼むぞ」と言われますが、「次はないです」と、準決勝の棄権を宣言しました。「日本人には無理です。100年かかっても、無理です」と、息を切らしながら声を絞り出します。嘉納が「悔いはないか」と聞くと、「はい」と笑顔で答えました。嘉納は「ならば良し。準決勝は棄権しよう」と承諾します。
7月14日、マラソン競技当日は快晴、四三は快便。湖で冷水を浴びて、いつものように「ひゃーーー」と声を上げます。弥彦によく眠れたかと聞かれると、プレッシャーで眠れなかったと答えました。弥彦も裸になり「一度やってみたかったんだ」と、冷水を浴びます。四三は、弥彦のように笑ってゴールすると誓いました。
次回の第12回は、「太陽がいっぱい」。
いだてんがついに世界の中心でマラソンに挑みます。
熊本のスヤ(綾瀬はるかさん)は、金栗家と共に、遠く日本で応援します。
その日のスウェーデンは暑く、マラソン競技中に倒れる選手が続出。四三は無事に完走できるのでしょうか?
何度も間違えた森の分かれ道も気になります。
いよいよストックホルムオリンピック、クライマックスです、次回も楽しみですね!
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